So-net無料ブログ作成
検索選択
WEB BASE(商品紹介) ブログトップ
前の10件 | -

加藤春岱 織部写茶碗 [WEB BASE(商品紹介)]

私の大好きな尾張陶工のひとり、加藤春岱の佳品のご紹介です。

関西圏では、九朗・春岱・秋二の三名が幕末の尾張国焼の三名工として茶会で登場します。

人気の順でも上記の通りのようですね。


しかし、技術力なども併せて、名古屋の方ではやはり春岱が第一人者としての高い評価を得ています。

今回は、数ある春岱作品の中でも、形状・釉薬上がりなど非常に上質なものが入りました。


DSC07706.JPG

表面

DSC07707.JPG

裏面

DSC07708.JPG

口造り

DSC07709.JPG

辰砂のような発色が見られます。

DSC07710.JPG

高台脇

DSC07711.JPG




現在、真作と分類される印が五種あります。

これは春岱窯跡より出土した印銘のひとつです。


春岱は贋作が多く、それこそ明治期より造られており、春岱作品とそう時代の違いが無いものが同じように年月を経て伝世しており、時代と使い込まれており味が出てしまっております。

存命中より評価が高かった証ではありますが、そういった作品群の存在が現在の春岱作品の美術評価を押し下げてる面があり、非常に残念です。



加藤春岱

1802-1877 幕末の陶工。

享和2年尾張(おわり)(愛知県)赤津の窯屋に生まれる。

文化13年15歳で父春山の跡をつぎ,尾張名古屋藩の御用窯(御深井(おふけ)焼)にも参加。

瀬戸焼の主流が磁器になりはじめた天保(てんぽう)以降も伝統の陶器をやき,赤絵や織部・志野の技法もくわえ,名工のひとりとされた。

明治10年3月18日死去。76歳。通称は宗四郎,仁兵衛。
nice!(0)  コメント(0) 

類は友と呼ぶ・・・? [WEB BASE(商品紹介)]

美術品、特に茶道具は同じような作品が存在します。

作家が異なる場合でもそうですが、同じ作家さんのものでも似たような作品を何度も扱うことが御座います。

しかし、まぁ・・・同時に、というのはそんなには無いものです。

ましてや、ちょっと古い珍しいものでは、まず無い・・・はずですが。



DSC_4803~01.jpg

DSC_4804~01.jpg

DSC_4805~01.jpg

仁阿弥道八 刷毛目茶盌


仁阿弥作品の中では多めの作品ではありますが、うちで2点も一緒になるなんて。(-.-)


それだけではありませんでした。

DSC_4811~01.jpg

DSC_4812~01.jpg

DSC_4813~01.jpg


加藤春岱 織部茶盌


これまで春岱のお茶盌扱ってきた中でも珍しい上がりの綺麗なタイプが手に入ったと喜んでいたのもつかの間、まったく同じ上がりのタイプが。

なんでやねん・・・(^^;


作品については、またご紹介致します。


nice!(0)  コメント(0) 

竹榮堂 榮真 南鐐七宝透托子(コップ台) 【十二客】 [WEB BASE(商品紹介)]

今月のベースイベントにご来場の皆様、誠に有難うございました。

前期は2日間でしたが、お陰様で賑やかに終了致しました。

24日からの後期では、お稽古道具から・・・も少しマニアックなモノへ移行して展示替えを行いますので、そちらの方もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


では、本日の作品紹介です。

DSC07844.JPG


竹榮堂 榮真 南鐐七宝透托子

非常に珍しく、洒落た作品です。


DSC07850.JPG


京都の錺師(かざりし)として現在は四代目まで続く名門家の竹影堂 榮真の作です。


DSC07848.JPG

四面に七宝紋様の抜き飾りで、内底面も七宝の筋彫りが施されております。


DSC07849.JPG


打ち出しにて非常に造形的な意匠で仕上げられ・・・とても数物作品の仕事とは思えないクオリティです。

DSC07845.JPG

箱は10客となっておりますが、十二客揃っております。


DSC07851.JPG

ガラスコップで良いもの、となりますとバカラ等・・・洋もので、結構なお値段がします。

そして破損しやすい薄造りが多く気を遣いますね。

コップ台に凝り、載せるガラスはそこそこ・・・で耐久性のあるものを使って演出してみるのも一興かとご提案致します☆


共箱 昭和中期

※売却済み








眞葛焼 わら灰釉 [WEB BASE(商品紹介)]

当店が意地で?扱う香山、そして好きで扱うその父・長造・・・

その眞葛焼の代表的な技法の釉薬が『わら灰釉』です。


乳白色でほわっとした発色でどこか上品な感じも併せ持つ釉薬です。

土によって温もりのある赤みを帯びたり、涼やかな青白色を見せたりと色目も変化致します。

野々村仁清も用いていた釉薬ですが、仁清の再来ともいわれた長造はこの釉薬の扱いに長けてました。

もちろん、その後香山も。

5代目の香斎の時に長造作品の写しを制作しはじめ、以降香斎家でもわら灰釉作品がラインナップされるようになります。


『長造釉』ともいわれておりましたが、『失透釉』と名称を変え、近年では『わら灰釉』と称しているようです。


丁度、比較出来る作品が揃ってますのでご紹介致します。


まずは5代宮川香斎の作品です。


真葛香斎 失透観世水茶碗 鵬雲斎書付

DSC07815.JPG


さすが5代香斎、手慣れた作行きです。

DSC07816.JPG

少し斜め上からみると内側の観世水もちらりと。

DSC07817.JPG

長造釉に観世水の意匠は、二代香山の惺斎好みの釣瓶水指が存在しますが、数が少なすぎてほぼ幻に近いです。

DSC07818.JPG


DSC07814.JPG

鵬雲斎の大宗匠になる直前頃の箱書です。


※ご成約済です。


さて、次に当代宮川香斎の作品です。


DSC07819.JPG


真葛香斎 銹絵落雁耳付水指


元は長造の有名な水指が存在しますが、この意匠で一番有名なのは初代眞葛香山による虫明焼で再現したこの作品でしょう。

月に落雁という組み合わせをこのように水指に落とし込むセンスは江戸後期ではなかなかの洒落たものです。

DSC07820.JPG

輪花口も長造の得意とするところで・・・それはさかのぼれば、仁清の得意な意匠でありました。

DSC07821.JPG


この水指は月に雁の細水指を、より現代的に使いやすくアレンジした形状になっております。

個人的に、当代はやや水色が強い特徴が多い感じがします。

当ブログでご紹介する前にご成約となりました、当代香斎の長造写しの雨夜茶碗もやはりそうでした。




では、さかのぼりまして・・・長造の作品のご紹介です。

DSC07822.JPG


眞葛長造 模仁清入舟向付    五客  

この作品は過去に京都美術倶楽部で開催されました、幕末の京焼展に出展された作品で現存する長造作品の中でも非常に珍しいもののひとつです。

DSC07823.JPG

概ね仁清釉なのですが、この一客だけは長造釉の青みが強かったので今回参考に掲載致します。

画像ではうまくブルー加減がお伝えしにくいですが、これぞ眞葛焼の伝統芸です。

DSC07824.JPG



今回は、眞葛焼わら灰釉作品のご紹介でした。



お問い合わせ先:fujii-01@xc4.so-net.ne.jp

お電話でもどうぞ。









御深井焼 花唐草文 平向付 五客 [WEB BASE(商品紹介)]

先日の名美アートフェアの際に、ブースを無人君にして(汗)・・・特別講演会に参加しました。

↓こんなのです。

特別講演
「尾張徳川家のお庭焼の謎と新知見」
  ―御深井焼・萩山焼・東山焼―

講 師  小池 富雄 氏
       鶴見大学文学部文化財学科教授

日 時  6月25日(日)
      午後1時~午後2時30分

場 所  名古屋美術倶楽部 4階ホール



・・・・なかなかに、マニアックな題材ですので、個人的には大歓迎なのですがお客様がついてこれるのか?と心配するも杞憂で。110名程のご参加を頂いておりました。

自称 尾張陶磁器伝道師 関西支部の私としましても興味津々で、師匠の計らいにより参加することが出来ました。

小池先生の語りも熱く、面白い講演会でした。

その中で新説、御深井焼は深井丸で窯があったのではなく、その外側にあったのであろうということなどもお話されておりました。

そんな御深井焼。

当店では幕末期の徳川斉荘公時代の御深井焼は何度も取り扱いしてまいりましたが、それ以前の御深井焼はなかなか気に入るものが無くて・・・今回が初めてです。

DSC07810.JPG

御深井焼 花唐草文 平向付 五客

絵付けも品よく、形状もなかなかの出来栄えです。

DSC07812.JPG

ビイドロ的な感じも薄く全体的にかかっております。

DSC07813.JPG

御深井焼
おふけやき

尾張(おわり)徳川家の御庭焼で、名古屋城内の御深井丸に窯が築かれたところからこの名がある。開窯については初代藩主徳川義直(よしなお)のころの寛永(かんえい)年間(1624~44)とする説、2代藩主光友の時代(1650~1700)とする説がある。美濃(みの)窯、瀬戸窯で江戸時代初頭から使い始めた灰釉(かいゆう)系の透明度の高い、いわゆる御深井釉を使って茶具、仏具や飲食器を焼いた。なお明(みん)の帰化人で義直に仕えた陳元贇(ちんげんぴん)もこの窯に参与したといわれ、ベトナムの染付写しが流行したのも特色の一つである。御深井窯は殿様窯ともよばれて格の高さを誇り、材料や陶工にも吟味を尽くして存続したが、1870年(明治3)に廃された。

DSC07811.JPG


この作品は斉荘時代より以前の御深井焼になります。

それぞれに微小の補修がございますが、その分気持ちよくお使いになれる状態です。


永楽和全 蔦絵様茶碗 [WEB BASE(商品紹介)]

御室窯時代は仁清を意識した作風での佳品が産まれました。

DSC07674.JPG

和全の色絵作品は貴重な出物です。

DSC07672.JPG

近年永楽作品のかっちりした絵付けと対局な、はんなりした絵付けです。


DSC07675.JPG

裏面です。 轆轤の綺麗な挽きが見て取れます。


DSC07676.JPG

見込みから。

DSC07677.JPG

高台回り。

DSC07678.JPG




共箱で、『津多絵様 茶碗』となっております。

蔦絵様、ということです。

幕末期の絵付け茶碗はなかなか得られないもので、色絵和全作品はかなりの高値で安定しておりますが・・・なんとか、ギリギリの線で手に入りました。(^^;


永楽和全

幕末-明治時代の陶工。

文政6年(1823)生~明治29年(1896)5月6日死去。74歳。

明治4年に永楽性に改正したのも和全による。


第1期

嘉永5年(1852)、野々村仁清ゆかりの御室仁和寺門前仁清窯跡に登り窯をひらいた。この土地は義弟宗三郎の所有地で、和全の作陶にはこの義弟の協力が大きかったと言われる。この時期を御室窯時代という。

第2期

慶応2年(1866)から明治3年(1870)、加賀の山代に五年間滞在して近代九谷の発展に尽力し、この時期を九谷窯時代と呼ぶ。

第3期

明治5年、三河の豪商鈴木氏の求めで岡崎に移り、甲山で窯を開いた。明治維新によって時代が変わり、西洋的な金襴手と色絵の懐石製高級食器(コーヒー碗やスープ皿)や赤絵染付も手がけ、神社仏閣での献茶や大寄せ茶会の為の華やかな茶道具も作り出し、永楽家の様式を確立した。この時期を岡崎窯時代と呼ぶ。

第4期

明治15年(1882)、高台寺の菊渓川のほとりに居を構え、作陶。菊谷窯時代と呼ぶ。この時期の作品は粗い胎土に薄く透明釉をかけて簡略な絵付けをした民芸風の雅味のあるものが多い。また、菊谷の繭印が使用され、特に菊谷焼と呼ばれている。

永楽和全 御室初窯 手桶水指 共箱・当代極箱 [WEB BASE(商品紹介)]

『求めよ、さらば与えられん』

という言葉がありますが・・・ここ2ケ月、いえ1ケ月の間にこれまで扱いたいと思ってたものがえらい勢いで入ってきてます。

さすがに、このペースだと困ります。(^^;

なので、どしどしご紹介を続けます。


DSC07752.JPG

永楽和全 御室初窯 手桶水指 共箱・当代極箱


和全の珍しい作品です。

仁清風の、造形的な手桶で・・・よく見るとなかなかの造り込みです。

DSC07753.JPG

見事なものです。

DSC07754.JPG

この作品は和全の作品の中でも特に稀少かつ出来のいい御室窯時代です。

義弟宗三郎の所有地に新しく窯を築いたところ、仁清印のある陶片が大量に出土したことから野々村仁清の窯跡地であったと判明したということです。

しかし、永楽が初めて自前の本窯を開くということ、仁清以来衰退していた御室窯の復興、仁阿寺の御用窯としての需要など様々な目論見から、計画的な立地であると考えられております。

DSC07755.JPG

この作品は御室窯の初窯にて焼かれた作品です。

共箱と作品に初窯の印がございます。

DSC07756.JPG

初窯は嘉永六年(1853年)の仲秋(陰暦8月)でその当初よりレベルの高い作品が製作されておりました。

伝世では、初窯では磁器作品が多くこのように陶器でしかも手の込んだ物は後の作品も含めて稀少な佳品であると思われます。

DSC07757.JPG

形状に合わせて凝った塗蓋(掻き合わせ塗)が沿っております。

DSC07758.JPG

共箱と2重箱として当代の極め箱がございます。


御室窯が明治3年(1870年)まで続きました。


次回も御室窯時代の和全作品の御紹介です。

初代平澤九朗 瀬戸一重口水指 [WEB BASE(商品紹介)]

一年半ぶりの九朗瀬戸一重口水指の入荷です。

平沢九朗 (1772-1840) 江戸時代後期の武士,作陶家。

安永元年生まれ。尾張藩士。茶道をたしなみ,余暇に古陶器を模して茶器をつくる。

作品には独特の趣があり,九朗焼といわれ、また、尾張徳川家の御庭焼にも参画し腕を奮った。

天保(てんぽう)11年6月23日死去。69歳。名は一貞。通称は清九朗。別号に今昔庵。


尾張藩士の余技作家の中では一番有名です。

DSC07802.JPG

今回のも”上がり”が良いです。

DSC07803.JPG

反対側より。

DSC07804.JPG

底面

DSC07806.JPG

口より。

DSC07805.JPG

丸で囲んだ部分に2カ所?ほどの小さい修復があります。あくまで外の表面だけですので釉薬剥離の治しかと思われます。

DSC07808.JPG

DSC07809.JPG

このような時代箱に入っておりました。



口径16㎝

高さ15cm


※ご成約済

横井米禽 黒織部鶴亀之絵茶碗 清風庵旧蔵 [WEB BASE(商品紹介)]


横井米禽 黒織部鶴亀之絵茶碗 清風庵旧蔵


DSC07798.JPG

横井米禽は、古美術商を本業としつつも・・研究・研鑽を重ね、古作の写し作家として数々の名作を生み出しました。

大正13年に廃窯となるところだった、東雲焼の窯を譲り受けてさらに作陶に励みます。

元来、良い物の実物に触れておりますので目は超えてる上に、独自の感性があるもので・・写しに見受けられる、カチッとし過ぎる感じがありません。

朝鮮系のものから伊賀などの和物に安南まで幅広く手がけ、なりよりどれも実にお茶に適っているの

で茶席で取り合わせるに重宝し、現在でも人気があります。 昭和16年没。56歳。



DSC07797.JPG

清風庵は水谷清石の庵号です。 昭和初期には名古屋美術倶楽部にて蔵の売り立ても行われた記録があります。

DSC07799.JPG

中に、亀が居ます。

DSC07800.JPG


DSC07801.JPG

丁寧な共箱ですね。

米禽は東雲窯を譲り受けて制作しておりました。この作品は東雲窯という名称を箱に書いておりますことから、初期作品と思われます。


口径 11〜11.8㎝

高さ 8.8㎝


岩木裕軒 八千代棚    昭和8年 淡々斎好み  [WEB BASE(商品紹介)]

珍しい出物です。


DSC07714-1.jpg

淡々斎好みの八千代棚です。 お稽古用はともかく・・・書付の八千代棚は、淡々斎当時に一定数が出たのみで、後年は作られておらず、一緒に好まれた渦の水指は三代の蘇山に代替わりしても製作されておりますが、肝心の八千代棚は・・・まず、見つけられません。

稀にあったとしても、ひどいシミがあるのが通常です。

この八千代棚の蓋裏は薄いシミはあるものの、概ね綺麗に伝世しております。

DSC07713-1.jpg



八千代棚は、桐材紅溜塗の四方箱で、倹飩(けんどん)の前戸は鳥の子張りに金砂子が霞に撒いてあり、縁は桐木地、銀の七宝座の摘みが付き、箱の両側の上部に七宝透しがある箪笥です。

八千代棚は、が好んだ棚で 利休好みの旅箪笥をもとにして好まれたものです。

本歌には淡々斎の嘉代子夫人の筆で『古今和歌集』の「我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」の小色紙が張ってあることろからこの名があります。

側面の七宝透しの内側に桐木地の板が嵌っていて、これを引き出して芝点を行う場合に用いることもします。

炉・風炉ともに用います。

※ご成約済
前の10件 | - WEB BASE(商品紹介) ブログトップ
メッセージを送る