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2016年 金美正札会のおしらせ。 [催事]

昨日までの日本橋ベースへご来場頂きました皆様、誠に有難うございました。

他にもご訪問で御世話になりました方々も、いい道具のご縁を有難うございます。

そんなこんなで、撤収は今朝になってしまいましたが・・・そのまま荷造りして明日から出張です。

まずは名古屋に2日間のオークションで、そのまま金沢行きでの5泊6日の旅です・・・

では、催しのお知らせを。(^^)/




毎年、4月末と11月頭は金沢美術倶楽部での展示会に参加しております。

秋は2年に1度がブース形式の金美特別展、もう片方が同じく2年に1度で金美正札会です。

今年は正札会の年になります。

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今回も珍しめの茶道具と懐石の器を多数取り揃えて参ります。

バーゲン品的なものもご用意しております。

北陸地方の皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます☆


(おそらく・・・3階の舞台上の展示になる事と思いますが、まぁ・・・ラインナップでわかりますね(^^;)



樂 惺入 松毬向付 六客 [新入荷]

お茶事のお話が出ましたので、茶事懐石道具のご紹介を続けます。

樂 惺入の松毬向付 六客です。

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樂はノンコウや一入時代から懐石の器が製作されております。

これまで見る限り・・・一入、長入、了入、旦入、慶入、弘入、惺入あたりです。

案外それ以外は見受けられません。

お茶碗は代々の独自の造りになってますが、器は元に存在する本歌を元に製作した代の特徴が見えます。

他の懐石道具と一番の違いは、美濃系や瀬戸、備前、染付などにしても古い本歌の写しを別の人が製作しているのに対して、樂は樂独自のオリジナルの懐石を、その子孫が製作しているところにあります。

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松毬、まつぼっくりの形状です。

大きさもたっぷりしてます。

外側は青楽(緑色)で樂独自のカラーともいえます。

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非常に造形的なデザインです。

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内側は香炉釉という、これもまた樂独自の表現方法で、白い色に貫入を入れることで味わいが出ます。
元は香炉でよく見られた釉薬技法から香炉釉と呼ばれます。


底面もしっかりとってますので盛り付けもやり易いですね。

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印は底です。

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六客 共箱 完品です。

※ご成約済


樂惺入 明治20年(1887)~昭和19年(1944)

弘入の長男として生まれ、大正8年(1919)32歳で十三代吉左衞門を襲名しました。

相次ぐ戦争の時代を生き、決して恵まれた環境とはいえない中にあって書画、和歌、漢学、謡曲などに通じ、また当時としては画期的な茶道研究誌「茶道せゝらぎ」を発刊するなど茶道文化の啓蒙に尽力しました。

惺入の作風は惺入自身の真面目な性格がそのまま窺われる伺われるように、伝統的な樂茶碗のスタイルに沿ったものといえます。釉薬の研究にも熱心で、様々な鉱石を採取して釉薬に使用するなど新しい試みを盛んに行っています。 

(出典 樂HP)

樂 旦入 赤白つぼつぼ 十客 [新入荷]

樂さんの”つぼつぼ”の入荷です。


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当店では何度か手に入ってますが・・・10客組はほとんどありません。

元が茶事用で生まれてるものですので、5や6客モノが多いのです。

この作品は5客2種となっているので、10客揃ってのパッケージになっております。

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ひとつひとつに、印が押されております。

盃など小物用の印というのでなく、普通の印を押されてますので景色としての見所にも。(^^;


そもそも、”つぼつぼ”ですが・・・

茶道の世界で有名なつぼつぼ紋は、元は千宗旦が伏見稲荷にお参りした際に、売っていた土器を元に思いついたもののようです。

”田宝”(でんぽ)という農作豊穣を願い、田に入れるものだったそうです。

器としてのつぼつぼは、”小壷”のようだから、とか手のひらで転がすと”つぼっ”というとか諸説アリですが。
もちろん、酢の物を入れるので現在では素焼きではなく、施釉の楽焼か染付磁器のものが殆どになってます。

茶事においては、初めて来られたお客様に”つぼつぼ”をお料理に添えて、中に人参と大根のなますを入れてもてなします。
元事はじめ、新築祝い、真の茶事でも使われるようです。

1寸ほどの小さいものですが、”ようこそお越しいただきました”とのおもてなしの心が控えめに、かつ心に残るように演出するお道具なのです。


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この作品は、宗旦が考案したつぼつぼ、宗旦から名前を頂戴した旦入の作というのも縁ですね・・


※ご成約済です。


旦入 寛政7(1795年)-嘉永7(1854年)

了入の次男として生まれました。文化8年(1811)十代吉左衞門を襲名。

弘化2年(1845)剃髪隠居して旦入と号しました。文政2年(1819)よりたびたび紀州へ下り、徳川治寶侯、斉順侯のお庭焼きである偕楽園窯、清寧軒窯に奉仕しています。

旦入の作行きは父、了入の篦削りを主体とした作風をさらに押し進めたもので、茶碗の各所を引き立たせる篦は多彩をきわめ、篦削りの技巧的な完成をみせています。

(出典 樂HP)


古曽部焼 立鶴茶碗 [新入荷]

日本橋ベースの10月営業も本日で最終日となります。

連日多数のご来場を頂き誠に有難うございます。

すぐに名古屋と金沢の出張を控えており・・・せわしない一日ですが、ブログの更新をば。

本日のご紹介は古曽部焼です。

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古曽部焼は大阪の高槻の地にて、江戸後期から明治末まで70年程続いた窯です。

遠州七窯の1つに数えられておりますが、そこは時代が合いません。

小堀遠州の時代に、伝承上で古曽部村にて焼かれた茶器があったとされるので一瞬の庭焼的な窯があったのかもしれませんが、一般的に確実なものとしては古曽部焼は五十嵐家の運営した窯のことを指します。

歴代の紹介を見ていきますと・・・


初代 五十嵐新平     (1750-1829)楽焼など。写しものを主とする茶器類が伝存する。

二代 五十嵐新平(新蔵) (1791-1851)一單斉信楽と名乗り、高取、唐津、高麗、南京などの写しものを得意とした。

三代 五十嵐信平(信五郎) (1833-1882)27歳で窯元を継承、三島、絵高麗の写しを得意とした。信楽土の導入を開始、雑器の大量生産を可能とする生産体制を整え、辰砂の作品を手がける。

四代 五十嵐信平(八十治郎)(1851-1918)32歳で窯元を継承、店売りや料亭向けなどの大口注文をこなす。

五代 五十嵐信平(栄次郎)(18??-1939)[注釈 16][29] 四代信平が現役中はその作陶活動を補佐。健康上の理由で廃窯した後は、歴代の作品に箱書きを行うなどの活動に従事した。大正期(1912-1926)の「磊三古曽部(復興古曽部)」の製造にも、「窯元」として参加した。

六代:五十嵐信蔵(19??~1912-1981~?)


五代の時代に復興古曽部焼、そして他地方で焼かれた写し物としての京古曽部焼などがあったり、しますが、やはり五十嵐系に限ります。


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こちらは四代の信平作になります。


古曽部焼というのは、土の調達に費用が嵩んでしまう土地柄があったのと、かといって売価を上げるわけにもいかない事情で、大量に製作して販売しないといけない窯元でありました。

ですので、食器や雑器が多く・・・クオリティもかなり振れ幅はあるのですが、それが故に多数の人たちの手に渡ることで愛され、名前も広まった側面があります。

この作品はそんな中、茶道具としてかっちり製作されたもので端正な作行きが嬉しい出物です。


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裏側から。


大事にされていた作品のようで、これまた良いお箱が添えられております。

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縞柿の蓋と、箱本体も凝った物です。


永樂保全 珠光青磁写 酒盃 [新入荷]

永樂保全作の珍しい盃です。

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珠光青磁とは、村田珠光がこの様式の茶碗を好んだと伝えられるところから内外面に猫掻き手といわれる櫛目文様があり、淡黄褐色または灰緑色を呈する青磁です。

博多にて出土し、継ぎを施して珍重されたものの数が少ない上に失われたものもあり、珠光、利休、信長らが所持したことから有名ではあったものの、実際に目にすることがない幻の高麗茶碗でした。

江戸後期には、珠光青磁に対する渇望が高まっていた時期で、そういう世相の中注文製作された作品であったと推察されます。


茶碗を盃にサイズダウンということから、茶人というより豪商のコレクションであったのでしょう。

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利休所持の茶碗は櫛目が27本で、後に現在の価格に換算すると5千万であったと言われております。



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近年、福建省同安県にて似たものが出土したことから、現在では”同安窯青磁”とも呼ばれているそうです。

ちょっと、お値段は張りますが・・・幕末のいいコレクションアイテムです。


永樂 保全

1795年(寛政7年) - 1854年11月8日(嘉永7年9月18日)

19世紀に活躍した京焼の陶芸家。 千家十職の一つ、土風炉師・善五郎の十一代である。

幼名は千太郎、1806年頃に十代善五郎である永樂了全の養子となる。

十一代善五郎を襲名したのは1817年であり、1827年には紀州藩十代藩主徳川治寶の西浜御殿の御庭焼開窯に招かれ、作品を賞して「河濱支流(かひんしりゅう)」の金印と「永樂」の銀印を拝領した。これが永樂姓の由来である。

1843年に息子の和全に善五郎の名を譲って善一郎と名乗り、さらに1848年には保全(やすたけ)と名乗りを変えた。このため、没後は他の善五郎との区別のため保全(ほぜん)と呼ばれる。


※ご成約済みです。

平澤九朗 志野茶碗 [新入荷]

続いて、お茶碗のご紹介です。

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九朗が茂右衛門の志野茶碗を写した作品です。

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1563年(永禄六)織田信長は瀬戸に来て名工六人を選び、のちにこれらに窯印を与えたと伝えられます。
その選に入った者は加藤宗右衛門(春永)・加藤長十・俊白(一に宗伯)・新兵衛・加藤市左衛門(春厚)・加藤茂右衛門(徳庵)の6名です。

高台内に、その窯印も写して入れております。


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最近は、九朗のお茶碗もあまり良いものが数出なくなりました。

お勧めです。

平澤九朗 南蛮芋頭写水指 惺斎書付 [新入荷]

九朗作品、2点入りました。

どちらも当店が近年入手しております、名古屋国焼一大コレクションの某家からの出物です。

まずは、水指の方をご紹介致します。

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堅めで重厚な水指が多い九朗作品の中では、洒脱な感じです。

芋頭は、南蛮水指の一で、口がすぼみ、肩がなく、胴の中程から胴裾にかけて膨らんだ形のものをいいます。
芋頭は、里芋の根茎のことをいい、里芋の形に似ているところからこの名があるといいます。

南蛮水指は、一般的には、安南(ベトナム)、暹羅(シャム・タイ)、呂宋(ルソン・フィリピン)から南蛮貿易によって室町時代後期を中心に日本にもたらされた、無釉で焼締物の甕や鉢などが水指として見立てられ用いられたものです。

天文十一年(1542)武野紹鴎が占切水指を用いたのが南蛮の土物水指が使われた最初と言われております。

室町末期から桃山期にかけて、侘び茶の台頭と共に土物が好まれるようになり、土の味わいや、濡れ味が珍重され、土物水指の代表格となりました。

この作品も、いい土とセンスのある釉薬がかり、です。

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運び、でもお使いやすいです。

銘は彫銘が内側にあります。

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惺斎の書付があります。 特に作家名を入れる、というのは惺斎が作品を認めた場合にのみになります。

書付道具、として様々なお道具に合わせて重宝することでしょう。


作品 無傷
塗り蓋に小ホツレあり。

平澤九朗

安永元年~天保11年(1772~1840)。
尾張藩士で屋敷内に窯を築き本格的に作陶する。
その作品は評価が高く当時より九朗焼として珍重された。
文化11年に病のために家督を息子の平澤陶斎に譲る。その後、次男の二代目まで九朗焼は続いた。
尾張の余技作家の中では最も有名である。


※ご成約済です。

十二代飛来一閑 籠地丸盆 [新入荷]

一閑作品のご紹介です。

といっても、通常の黒漆の一閑張ではなく・・・一捻りの作品です☆

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飛来家は亡命明人の末裔です。初代一閑は現在の浙江省杭州の出身であったが、清の侵攻が中国南部まで及び、身の危険を感じて大徳寺の清巌宗渭和尚を頼り、寛永頃に日本へ亡命しました。

日本ではこの清巌和尚の手引きにより千宗旦に紹介され、趣味であった紙細工が認められ、”一閑張”と呼ばれる小物の注文を受けるようになり以降16代の当代まで続きます。


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一閑家は11代が初代依頼の名工と呼ばれ、その技術とセンスによる新趣向の”篭地四方盆”を初代の200回忌に200枚製作致しました。

11代は存命中に12代に家督を譲った後も製作を続けました。

12代も11代と一緒に仕事をする中で、篭地の技法を会得しており、この作品は父の四方盆からアレンジをした丸盆として製作されました。

通常の漆物とは違う温かみのある作風が特徴の一閑張りですが、篭地はさらに風合いが出ますね。

裏側をご覧頂ければお分かりになりますが、篭地というだけあって籠目の上に和紙を貼り、漆をかけております。

用の美としてのお道具ですが、所持するだけでもうれしい作品ですね。

十二代 才右衛門一閑(1816年 - 明治30年(1892年)11月30日)


※ご成約済

2016年10月19日~21日の新入荷情報です。 [新入荷]

大阪・名古屋・京都と美術倶楽部三昧で2泊3日の仕入の旅でした〜

珍しく、欲しいものが多かったのですが・・・なかなか値踏みとの折り合いがつかないモノも多々。。。

そんな中、精一杯の仕入です。(^^;


十二代飛来一閑 籠地丸盆 ※ご成約済

古曽部焼 立鶴茶碗

倉本寿山 惺斎好青楽平建水

象福  貝蓋物 10客 ※ご成約済

真葛香斎 仁清写八ッ橋茶碗

中村道年 黒数印茶碗

平澤九朗 志野茶碗

平澤九朗 南蛮水指 惺斎書付 ※ご成約済

古楽山焼 伊羅保写茶碗 ”安分” 鵬雲斎書付 ※ご成約済

初代 眞葛香山 倣古染漬意眞葛窯福名茶碗

十一代中川浄益 モウル建水 鵬雲斎書付 ※ご成約済

二代清水六兵衛 雲鶴三嶋茶碗      五代極箱   金継あり ※ご成約済

楽旦入 赤白ツボツボ 10客 ※ご成約済



週明けの10月最後のベース期間に持参致します。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


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初代徳田八十吉 古九谷写雪華文様 隅切角皿

当店では珍しい八十吉作品の入荷です。


初代八十吉は、明治6年、染色業の亀屋伊助の長男として生まれました。

日本画を荒木探令・山本永暉に学び、のち義兄である松本佐平の下で九谷焼上絵付けを習得し、

色釉の調合技法について研究して、ビロード釉、碧明釉(緑系)、欽朗釉(黒系)、深厚燿変など独
自の釉薬を開発しました。

昭和28年、上絵付(九谷)で国の助成を講ずべき無形文化財に認定されました。

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この作品は、九谷村の原石を使用して特別製作された作品のひとつになります。

雪華模様(せっかもよう)は雪の結晶を配した模様のこと。雪を花に見立てて名づけられた。雪花模様、大炊模様(おおいもよう)、六つの花(むつのはな)とも。

江戸時代に入って古河藩主土井利位が雪の結晶を観察し、「雪華図説」にまとめ出版したところ、結晶図の美しさと完成度の高さから、雪の結晶の模様(雪華模様)は江戸庶民の間で流行し、着物や服飾小物、はては茶碗の模様にまで使われた(この流行を受けて土井利位は、天保11年に「続雪華図説」を刊行している)。



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今現在見ても、モダンで未来的なデザインの雪華文を九谷焼の4色を用い描いてます。

シンプルですが、それが故にベースの釉薬や形状、古九谷の再現度合が感じられ秀逸な作品です。

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コレクションアイテムではありますが、ここは茶会や懐石の場に於いて平鉢として楽しまれるのは如何でしょうか?


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