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第六回大美特別展 初代宮川香山没後100年企画展 ”香山式” [眞葛香山]

第六回大美特別展の準備が出来ました!

予想以上に微調整に時間がかかりました・・・。

全部並べるだけのスペース無く、また詰めて陳列してしまった箇所もありますが、なんとか完成です。

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明日よりの3日間、 初代宮川香山没後100年企画展 ”香山式” 是非ご高覧下さいませ!




荷造り完了。 [ひとりごと。]

月、火と2日間で済ませるはずの大美特別展の準備・荷造り・・・何か忘れてないか?などと、なんだかんだとダラダラしてたら3日間が過ぎてしましました。。。

普段の催事でしたら、2、3時間で準備出来るんですけど。

やはり、3年に1度の特別展、というのと・・・今回の眞葛香山 オンリーというのがプレッシャーになってるのでしょうかねぇ。(^^;

東京のサントリー美術館では、本日より”没後100年 宮川香山”が始まりました。


ニュースや新聞での紹介、ネットでも話題になっており初日にして盛り上がってるようです。

私も楽しんで大美特別展に臨みたいと思います!


明日はいよいよ搬入と陳列です。


眞葛香山(宮川香山)初代没後100年 情報 続きです。 [眞葛香山]

先日よりお伝えしております、眞葛香山没後100年情報の続きです。


香山を日本に紹介した先駆者であります、田邊氏のコレクションを没後100年に合わせて巡回展で展示されます。

釉下彩を使用した、最晩年作品であります復刻蟹や、高浮彫時代の充実はさすが、のコレクションです。

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会場

サントリー美術館
東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階


会期

2016年2月24日(水)~4月17日(日)


(※サントリー美術館HPより)


大阪東洋陶磁美術館、瀬戸市美術館へと巡回されます。


この水曜日より開催です!


そして、まだまだございます。

こちらは、横浜眞葛ミュージアムのコレクションを中心に、東京国立より以下の重要文化財の2点も展示される初代眞葛香山の特別展です。


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岡山県立美術館

没後100年を記念して、虫明焼の発展に寄与した香山を顕彰するとともに、日本の近代窯業界の寵児として海外で高い評価を受けた香山を同時代の作品群とともに紹介します。草創期から現代までの虫明焼作品、薩摩焼に影響を受けた明治期の各地の焼物、重要文化財2点を含む高浮彫作品から釉薬物まで多彩で魅力溢れる香山の作品など、合わせて約250点の作品を一堂に展覧します。


会  期
2016年3月18日(金曜日)から5月8日(日曜日)まで
*GW期間中は休まず開館


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(岡山県美HPより)


さらに、これまで謎だらけであった虫明焼の現時点での作品、資料等の公開もあります。

眞葛香山が虫明焼を改良し現在までの流れを生み出しましたが、その虫明眞葛の研究成果の紹介や現代

現までの流れ、さらに明治期に眞葛窯との深い繋がりがあった沈寿官の作品も併せて紹介されます。



没後100年、香山が盛り上がってきております!


今週末に開催される大美特別展での当店の企画展・・”香山式”、も明日より準備にかかります。


2016年2月19日~21日の新入荷情報です。 [新入荷]

なんだか、すっかり寒い日に逆戻りですね。

この3日間、大阪~名古屋~京都と美術倶楽部巡業してきましたが、仕入量も寒めです。。。

当店では、ちょっと、珍しめの物もあります。



三代 高橋道八 染付釉裏紅花瓶

大西清右衛門 唐銅口糸目建水 淡々斎好

菊池政光 常盤鉄瓶

菊池政光 万代屋鉄瓶

菊池政光 真形鉄瓶

河井武一 均窯扁壺 河井透極箱 ※ご成約済

十四代坂倉新兵衛 萩茶碗 ※ご成約済

川邊庄造 丸総霰釜 ※ご成約済

初代三国丹祐 銀襽手龍紋香炉      二代極箱 イタミ有 ※ご成約済

永楽保全 白磁獅子頭印材  蔵六刀 合わせ箱 ※商談中

初代 眞葛香山 青磁写双魚 酒盃 ※ご成約済

初代 眞葛香山 青磁釉写 酒器(盃) ※ご成約済

宮川香山 没後100年 あれこれ情報。 [眞葛香山]

いよいよ初代香山没後100年の色々がスタートです。

まずは、17日に発売された美術手帖のご紹介です。

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特集
超絶技巧!! 宮川香山と明治工芸篇


2000年代以降、再評価とともに注目が高まる「明治工芸」。
それは、幕末から明治へという大きな時代の変化のなか、
職人たちが試行錯誤を重ねて生みだしたものだった。
金工、漆工、七宝、陶磁器などさまざまな分野で
空前絶後の写実性や細密さを誇る表現が花開き、海外で人気を獲得。
近代化を目指す日本の殖産興業を担った。
今年没後100年をむかえる陶芸家・宮川香山をはじめ、
明治の職人による超絶技巧は、今なお見る者を惹きつける。
時代背景や人物像を明らかにしながら、
明治工芸に宿る芸術の力に迫りたい。


SPECIAL FEATURE
超絶技巧!! 宮川香山と明治工芸篇
山下裕二=監修


PART1
"美しい畸形"の陶芸家を再発見せよ!
宮川香山


眞葛焼の生命力 田附勝=撮影
アーティスト・青木克世さんと見る、宮川香山の超絶技巧
宮川香山人生双六 伊野孝行=イラストレーション
眞葛ミュージアム館長・山本博士さんと探る、香山作品の描写力
展覧会情報


PART2
極限の技が炸裂する、職人魂に驚嘆!
明治工芸の"必殺"仕事人!!


正阿弥勝義、海野勝珉、鈴木長吉、並河靖之、濤川惣助
安藤緑山、旭玉山、石川光明、高村光雲
川之邊一朝、白山松哉、赤塚自得、柴田是真
錦光山宗兵衛、飯田新七、安本亀八、松本喜三郎
來嶋路子=構成 伊野孝行=イラストレーション


明治工芸Q&A
藤田麻希=文 加納徳博=イラストレーション


コラム:七宝の制作工程と、その魅力 武藤夕佳里=文
コラム:万国博覧会は、日本の工芸に何をもたらしたか? 藤田麻希=文
コラム:帝室技芸員の任命と義務 小林祐子=文
コラム:柴田是真のだまし漆器 小林祐子=文
コラム:作品研究の進む生人形 冨澤治子=文
コラム:古典研究から生まれる技の再現と、新たな表現 永田智世=文


PART3
3人の現代作家が迫る、技巧と表現の世界
現代の超絶技巧



(HPより転載)



なかなかにPOPな内容となっております。(^^;

香山の双六なんてものもあります。

一般の方により理解しやすく努めている感じですね。


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超絶技巧」とまでいわれる、高度な技術で装飾された焼き物の展覧会が、東京・日本橋三越本店で開かれている。
展示されている「真葛焼(まくずやき)」は、明治時代、その技法の多彩さで欧米にも影響を与えたが、現存数が少ないため「幻の焼き物」とも呼ばれている。
会場には、2匹のカニが張りついたように見える花器をはじめ、動植物や人物などの題材が精密に描かれた、陶器118点が展示されてます。

こちらは17日~29日まで、東京 日本橋三越百貨店です。



この次は来週からのサントリー美術館と当店の大美特別展での香山式です。

こちらも追ってご紹介致します!


藤田喬平 手吹ヴェニス茶入 [新入荷]

当店ではかなり久しぶりの喬平作品です。

茶入は前から気になっていて・・・オークションで出る度に吟味していたのですが、ようやく価格と出

来栄えに納得出来る仕入が出来ました!

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喬平については、昨年みなみ美術品まつりの特設展で使いましたキャプションでご紹介致しましょう。

”硝子の英雄”

藤田(ふじた) 喬(きょう)平(へい)(1921[大正10年]~2004[平成16年])

文化勲章受章者(2002[平成14年])

硝子工芸家で、人間国宝や帝室技芸員の称号を得る者は誰一人おりません。唯一人、喬平のみが文化

勲章を受章しています。つまり日本の硝子工芸が「伝統工芸」とも認められず、近代まで軽視されて

きた工芸ジャンルであったという証左です。従って喬平が文化勲章を受章したことは硝子工芸界のま

さに快挙でありました。

そしてその後、同等の栄誉を得るものが出ないことをみると、喬平がいかに突出した存在であること

がわかるのではないでしょうか?


二代川本治兵衛 模青花山水人物一重口水指 [新入荷]

江戸中期、瀬戸は良質の有田焼の台頭により、磁器生産の技術の無さから焼物産地として苦境に立たされておりました。

そこで、日本最初の産業スパイとも称される?加藤民吉が、九州に入り大変な苦労の末有田より染付磁器の秘儀を得、瀬戸に繁栄をもたらしました。

江戸後期には京都などでも日本における磁器の技術が大幅に向上し、ようやく染付作品が登場しだした時期です。

今回ご紹介します、治兵衛は加藤民吉から直々に染付磁器の技法を学びました。

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後に明治頃まで続く瀬戸染付のはしり、です。

最近の近代茶道に影響された堅い図柄と違い、当時の純粋な中国画を模した作風は時代と共に味わいがあります。

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塗蓋も当時物で、イタミがありますが敢えてそのままにしております。

珍しいことに、共箱も現存してます。


二代 川本治兵衛~1866 江戸時代後期の陶工。

初代川本治兵衛の3男。加藤民吉にまなび,文政8年(1825)2代治兵衛をつぐ。釣焼きによる額面の製造,

銅版焼き(青花転写法),瑠璃釉(るりゆう)など技術の工夫・改良につとめた。磁器の衝立(ついたて),門

柱,風炉先屏風(びょうぶ)などを製作。慶応2年5月死去。尾張(おわり)(愛知県)出身。幼名は藤平。号

は魁陶園,塐仙堂。

初代大仲翠月 三つ扇蓋置 [新入荷]


翠月作品、久しぶりに仕入れました。

当店ブログの過去の記事からも引用してご紹介致します。

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翠月の真骨頂、陶器に蒔絵です。

この作品では、さりげなくさりげなく、意匠を施しております。

扇子が三つ、それぞれ鳥獣戯画が描かえてます。 鳥獣戯画の中でも兎や蛙が扇を持ってますね。

まさにセンスの作品です。

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釉薬面に蒔絵をする技術を持っているのは宝漆陶・大仲翠月のみとされていまして、昭和十年にかの帝室技芸員の香取秀真が絶賛している記録が残っております。

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商工省が先般フランスへ送った工芸品の中に厳選を突破して十点迄も陶製美術品を出品している無名の一陶工大仲翠月氏の作品は、今迄日本に長い歴史を持っていて、しかも合成する事の出来なかった陶器と漆器とを見事に一個の製品の中に融和させている事がわかって、この実物を一見した帝国美術院会員香取秀真も「これは珍しい、よくここまで造れた」と感心している、我国美術品の海外進出を契機としてはからずも世に出た収穫だ
この前人未踏の境地を開拓した大仲翠月氏(四三)は京都嵯峨に生れ、少年の頃から蒔絵師になろうと志し、研鎖十六年、遂に時代の流れが古風な蒔絵を容れなくなった事から生活手段を失い江州信楽焼の研究に転向、苦心に苦心を重ねてようやくこの陶漆合成に成功したものである
その製法は信楽の土で一旦陶器を作り、漆で描く部分だけをけずり取ってこれを焼き上げてから蒔絵をほどこすので、漆器の蒔絵よりは丈夫で剥落の憂いもなく色彩も自由に描き得るので、髪飾りや帯止めなどの精巧細緻な服飾品に見事な製品を出している、大仲翠月氏は語るようやく人に見せられるものが出来る様になりました、誰もやらない事をやったというだけで美術家としても自分は満足です製法は割に簡単ですが、誰にも真似られぬという自信だけはあります

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初代晩年のデッドストック作品で、未使用品です。


大仲翠月(久次郎)明治26年~昭和50年
中大路季嗣に蒔絵の手ほどきを受け、のち富田幸七に師事、その後約10年間信楽に住み陶器の技を覚え陶胎漆器を志す。
京都へ帰り陶胎漆器の茶器や置物を造ることに専念。陶漆工芸を称す。

昭和16年工美展入選
昭和19年戦時中の技術保存者乙種1級

現在は二代目が活躍しているそうです。

五代清水六兵衛六兵衛 祥瑞模茶碗 [新入荷]

五代六兵衛の逸品です。形状と発色がこれほどよい物はなかなか出ません。

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上から覗くとまるで六角形になったかのようなフォルムに見えます。(まさに六べえ)


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斜め後ろから。

正面とはまた違った書き込みです。

五代六兵衛は歴代の中でも、釉薬の研究を進めた代として知られます。

そしてその技は東の波山、西の六兵衛とまで称され時代の寵児となったそうです。

現在の六兵衛の名声は五代が礎を築いたのです。

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印は、小さい小さい隠し印が高台内側側面にあります。


五代 清水六兵衛

1875-1959

明治8年3月6日生まれ。4代清水六兵衛の長男。大正2年家業の京都清水焼をつぐ。釉薬(ゆうやく)の

化学的研究にうちこみ,洋画家浅井忠らとあたらしい意匠を開発するなど,京焼の近代化につくす。芸

術院会員。昭和34年8月1日死去。84歳。幼名は栗太郎。号は祥嶺,のち六和。



樂 弘入 碌々斎好甲鉢 [新入荷]

樂十二代 弘入の甲鉢です。

向付でも小さくしたものがありますが、こちらは鉢です。


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弘入は茶道の盛衰の転機に活躍し、晩年の作品の多さは目を見張るものがあります。

赤樂は特に箆使いが特徴的ですが、フォルム的には全体的にやさしめの印象を個人的に感じます。

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青楽は特に江戸後期より茶道具で見られます。

この作品は碌々斎の好みとして産まれた意匠です。

しかし、現在では一般的に認知されるデザインとして認知されています。

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5月の主菓子器や懐石用にお勧めです。



樂吉左衛門 弘入

安政4(1857年) - 昭和7年(1932年)

十一代長男。明治4年に家督相続するが、茶道衰退期のため若いときの作品は少なく、晩年になって多数の作品を制作する。大胆なへら使いに特徴があるとされる。大正8年(1919年)に隠居、以後は京都本邸と九代の別荘であった滋賀県の石山を往復し、優雅な晩年を送る。


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